スキーで結ばれた友情
 

チロルと日本との友情関係は意外にも古くから「スキー」というスポーツで結ばれています。国際的なスキー・ソサエティーのメッカとして、また世界中のアルペンスキーヤー達の憧れの地として知られるサンクト・アントン、ヨーロッパの王族貴族やVIPのゆかりの地として有名なレッヒ。チロル州とフォアアールベルク州にまたがるアールベルク峠の代表的なこの両町は、スキー技術を世界に広め発展させた「アルペンスキー発祥の地」でもあります。冬には美しい白銀の世界が広がるアールベルグ地方、ここでは約100年以上前からスキーが行なわれてきました。1901年にスキーの先駆者であるハンネス・シュナイダーによって名高いアールベルグ・スキークラブが創設されて以来、数多くのスキー競技会が開催され、サンクト・アントンやレッヒはアルペンスキーのメッカとして、その地位を揺るぎないものとしました。この地で生まれたスキー技術は20世紀初頭日本にも渡り、多くの人々に反響を与えました。スキーを中心として始まったチロルと日本の友好関係は、現在では両国の友情を深めるため姉妹都市という形で交流を続けています。

  チロルと日本の交流の歴史
 

 

 1896  マティアス・ツダルスキー(18561940)、アルペンスキーの創始者によって「山岳(リリエンフェルト)スキー滑降技術」が出版される。

 1901
 13

 サンクト・アントンの隣村サンクト・クリストフの「ホスピッツ」にて歴史上初の「スキークラブ・アールベルグ(SCA)」が創設される。翌年から毎年スキー競技会が行なわれるようになり、ハンネス・シュナイダーが世界的に有名となる。後、1907年にはハンネス・シュナイダーによるスキー・レッスンが始まる。
 1911  テオドール・フォン・レルヒ少佐来日。ツダルスキー方式による「リリエンフェルト・テクニック」を教え、日本における近代スキーの創始者となる。同年、日本発のスキークラブが誕生、初めての滑降競技会も開催される。
 1921  ハンネス・シュナイダーがスキー学校を創設する。
 1925  ハンネス・シュナイダーとファンク博士、1920年の合作映画「スキーの驚異」と同名の本を出版、日本でも大反響を呼ぶ。
 1926  全日本スキー連盟が創設される。
 1928  スキー技術の最先端を進むオーストリア国立スキー学校、国立ブンデスシュポルトハイム(現在は国立ブンデススキーアカデミー)がサンクト・クリストフに創設される。
 1930年代  ハンネス・シュナイダー来日。野沢温泉など日本各地で本格的なアールベルグ・スキー技術(当時は「スキー術」と呼ばれた)紹介活動をスタートし、各地で大反響を呼ぶ。
 1955  オーストリア国立スキー学校の元校長シュテファン・クルッケンハウザー教授によって新しいスキー技術が「ヴェーデルン」が誕生する。
 1958  ハンネス・シュナイダーのアールベルグ・スキー学校後継者、ルーディー・マットが来日。オーストリア最新の技術を自ら実演して見せる。日本とオーストリアをスキーで結ぶ友情を新たにする。
 1963  シュテファン・クルッケンハウザー教授初来日。数々の実演により自らの新技術「ヴェーデルン」、「バインシュピール」技術を披露する。このからクルッケンハウザー教授、及び後にはホッピヒラー教授のオーストリア・スキー技術に関する本が日本でも定期的に出版されるようになり、本格的なスキー技術書として大変高い人気を得る。
 1964  オーストリアで最初のオリンピック大会となる第9回冬季オリンピックがインスブルックで開催される。
 1976  インスブルックで2度目のオリンピックとなる第12回冬季オリンピックが開催される。
 1980  クルッケンハウザーの後を継いだ、国立スキー学校の教授兼、国際スキー連盟の会長(当時)であるフランツ・ホッピヒラー教授により新しいスキー技術「シュヴインゲン」が誕生する。

 1980年代~現在まで

 毎年のように日本から招待されたチロルのスキー教師が日本各地で本場のアルペンスキーの技術を教えるようになり、スキー教師講習会なども開くようになる。又、日本からもアルペン・スキー技術、スキー教育学、スキー場開発、リゾート開発と環境保護などをテーマにした視察旅行がチロル、特にサンクトアントンに定期的に来るようになる。