「SOS子供の村」のシステム
 

1949年、イムストに「SOS子供の村」の基礎が築かれたきっかけとなったのは、多くの子供たちを深い悲しみに突き落とした第二次大戦でした。その頃グマイナー氏は、家族に限りなく近いかたちで子供たちの世話をすることに努めていました。
その時に基盤となったのが、母親、兄弟、家と村の4つの要素。現在でも「SOS子供の村」はグマイナー氏の思想をそのまま受け継ぎ、この4つの要素で本物の家族同様のSOS家族を構成しています。

「SOS子供の村」に集まる子供たちは必ず代理母となるSOSマザーの下で生活します。SOSマザーは平均5~7人の子供たちと生活をし、子供たちとともに家族の信頼関係を築いていきます。SOSマザーは家族の日常を形づけ、家族の愛と絆を深めていき、その愛情と安心感によって、SOS家族は子供たちの安全な「我が家」となるのです。

SOS家族では男の子や女の子、様々な年齢の子供たちが「兄弟」として育ちます。血の繋がっている兄弟はそのまま同じ家族に入り、子供たちは10歳前後まで家族の一員として過ごします。この子供たちは一般の小学校に通い、社会と隔絶せずに生活をします。  1つの家族はそれぞれ同じ家に住み、自由に内装をアレンジすることができます。リビングとキッチンが家の中心となり、家族の団らんの場所にもなります。多くの場合、子供たちが寂しくないよう、2人で1つの子供部屋を使います。  
どの村も平均して10~15軒の家で構成されています。多くの村では保育園があり、一般の子供たちも遊べるようになっています。「SOS子供の村」は周辺の地域と調和しているため、周囲と境がありません。このようにして、一般の地域と「SOS子供の村」が交流できるように工夫されています。

そして子供たちは青年へと成長し、彼らは自らの足で立ち、独自の体験を積み重ね、進学または特定の職業に就くためのステップアップを計ります。SOSティーンエイジャーは自立した大人として社会人となるまで「SOSファミリー」や「ティーンエイジ・ハウス」で生活をすることができます。 成人した子供たちはここから去ることになりますが、施設から離れた後も育ての親であるSOSマザーや、「ティーンエイジ・ハウス」のリーダーと連絡を取り合っています。立派に成長したSOSの子供たちが、恋人や自らの家族と子供たちを連れて、SOSマザーを訪問することもあります。血縁関係がなくとも、「SOS子供の村」ではSOSマザーと子供たちの間に深い絆が存在しているのです。  

自らも「SOS子供の村」で育った、現SOS世界連盟会長のヘルムート・クーチン氏はこう語ります   

 「私が12歳で母を亡くした時、ショックのあまり深い悲しみに陥ってしまいました。重い病気を患っていた父は結局、私をイムストの「SOS子供の村」に入れることを決め、私は精神的に深く傷つき常に不安と悪夢に襲われていました。しかし「SOS子供の村」で奇跡が起きたのです。それは、「新しい家族ができた」という奇跡。その後、徐々に悪夢は去って行き、子供らしい普通の夢がよみがえってきたのです。  
私は幸運にも子供の頃の悪夢から解放され、自分の道を見つけることができました。私は今後も「SOS子供の村」の友人たちと共に、恵まれない子どもたちに素敵な子供時代をプレゼントして行くつもりです。これは夢想ではなく、私が全力を尽くして追いかけているリアルな夢なのです…。「守ってくれる温かい家族を持つこと」、それは世界中の子供たちが持つ権利だと私は確信しています」   

「SOS子供の村」は、一般・企業向けにあらゆる募金活動を行なっています。子供たちの描いた絵葉書、グリーティングカード、E-cardやカレンダーなどは募金の引き換えとなり、また子供たちの作品の数々はオークションや展示会でも紹介されています。