「SOS子供の村」世界連盟会長からのメッセージ
 

始まりはいつも夢から

私が12歳で母を亡くした時、ショックのあまり深い悲しみに陥ってしまいました。重い病気を患っていた父は結局私をイムストのSOS子供の村に入れることを決め、私は精神的に深く傷つき常に不安と悪夢に襲われていました。
しかしSOS子供の村で奇跡が起きたのです。それは、「新しい家族ができた」という奇跡。その後、徐々に悪夢は去って行き、子供らしい普通の夢がよみがえってきたのです。

高校卒業後、私は自分の夢を叶えるべくインスブルック大学で国民経済を学び、友人と共に旅行会社を立ち上げました。会社が軌道にのり始め、ビジネスの観点から物事を考えるようになってきた頃、突然ヘルマン・グマイナー氏から「会って話がしたい」という手紙が届きました。

ヘルマン・グマイナー氏は私に「ベトナムにSOS子供の村を開設し、アジアの社会福祉を広めて欲しい」という冒険話を持ち込んできました。1960年代、ベトナムはまだ遠い知られざる国…私にとって刺激的なオファーでした。グマイナー氏が自ら私にこの重大な仕事を託したことが励みとなり、私はこの仕事を引き受けることを決意したのです。 その後、私は短期間でグマイナー氏がなぜ厳しい社会情勢の中SOS子供の村を設立したか、彼の「生涯の夢」を理解できるようになっていきました。ベトナム生活の最初の10年間、私はSOS子供の村の子供たちとSOSマザー及び職員たちの生活環境の改善を具体的な夢とし、この夢の実現を生涯の課題としました。

その頃は、SOS子供の村の世界連盟会長に就任するなど夢にも思っていませんでした。しかし、ヘルマン・グマイナー氏との長年にわたる共同作業によってお互いの友情と信頼関係が深まり、生前グマイナー氏は私を後継者として任命したのです。こうして私はこの重大な任務を担うと同時に、この仕事と結びついている多くの感動と喜びを受け継ぐことになりました。
私の責務はこの「共同の夢」をできる限り実現させること、即ち世界中の恵まれない子供たちに手を差し伸べ、子供たちを愛し、守り、育ててくれるSOSマザーや兄弟を与え、安全な「我が家」を提供してあげることで、子供たちを明るい未来へ導くことです。
子供たちがすくすくと育つためには人の悩みを理解し、多様な文化・考え方・宗教を認め、他の人間を我が身のように大切にできる心の広い人が求められます。SOS子供の村は常にこのような人材を捜し、子供たちがいつの日か偏見のない寛大な心を受け継ぎ、これを世界中に広めていくことを期待しています。

SOS子供の村に来る子供たちを見る度、私は心を打たれます。子供たちは皆強い子供たちばかりです。負傷していたり、精神的に深い傷を負っているにも関わらず、まるで身を守るカタツムリが勇気を出して殻から顔を出すように、短期間で閉ざされた心を開くことができるのです。そして勉強や新たな発見、毎日の小さな奇跡に生きる喜びを覚え、幸せを互いに分かち合うのです。 
子供たちのこうした姿を見ていて私は将来への希望を持つことができます。それは、子供たちがあらゆる苦しみと失望から再び大人への信頼を取り戻し、心を開いて生きる喜びを感じるように、大人たちは暴力、疑い、恨み、報復を突き破ることができるのではないかと思うのです。
私たち人間は何度でも他人に再スタートのチャンスを与える勇気を持たなくてはなりません。 長くて険しい道のりであっても、一歩一歩に価値があります。さぁ、子供たちから学び、不可能を可能にする大きな夢を抱きましょう。物事の進展は「夢」から始まるのです!

私は幸運にも子供の頃の悪夢から解放され、自分の道を見つけることができました。私は今後ともSOS子供の村の友人たちと共に、恵まれない子どもたちに素敵な子供時代をプレゼントして行くつもりです。これは夢想ではなく、私が全力を尽くして追いかけているリアルな夢です…。「守ってくれる温かい家族を持つこと」、それは世界中の子供たちが持つ権利だと私は確信しています。

SOS世界連盟会長 ヘルムート・クーチン