環境・観光レポート
 

『観光地の自律性が求められる時代』 ―海外から見えてくる「新しい観光の流れ」―
財団法人日本交通公社 理事 小林英俊 (2001年8月執筆)



日本人観光客が急増するチロル

顔見知りのチロル州観光局T部長が、今年もハイキングのプロモーションにやってきた。
「日本人観光客は30%増ですよ!」挨拶もそこそこに嬉しそうに切り出した。アルプスといえばスイスしか思い浮かばない日本人マーケットで、ユングフラウやマッターホルンといった有名な山もなく、素朴な観光地チロルが、ここ1、2年の間に急に注目されるようになってきた。しかも、チロルが組み込まれた各社のパンフレットをみると、ひとつの村に2泊から3泊しており、中には1ケ所に1週間も滞在するツアーもある。もちろん、オーストリア政府の積極的なプロモーションの成果でもあるが、それだけが理由ではなさそうである。

環境の質を高める努力

チロルの多くの村落は、谷筋に開けたわずかばかりの平地に点在している。人口1300人のレッヒ村も、谷間の集落を取り囲むように牧草地が広がる典型的なチロルの山村である。そんな小さな村のホテルで朝食を取っていると、オーナーのゲオグルさんが「我々は、村の周辺の18軒の農家から牛乳、チーズ、ヨーグルトなどを倍の値段で買っているのですよ」と話しかけてきた。思わず耳を疑って、「日本では、共同仕入れというのは安くなるからやるんですよ」と答えると、「ここの魅力は、周辺の牧草地の景観や自然環境ですよ。農家が元気でないと、ここの魅力はなくなってしまいますよ」と、当然のことだと言わんばかりに反論した。
近くのベツアウ村でホテルを営むクリスチャンさんも、同じ主旨の話をしてくれた。この村では、肉牛を飼っている農家が多いので、地元のホテル組合が共同で屠殺人(肉処理業者)を雇っているという。この屠殺人は、農家とホテルの利益を考えて仕事をするそうである。その結果、農家に工夫の余地が生まれ自主性が出てきたと、クリスチャンさんは我がことのように嬉しそうにに語る。グリーンツーリズムを標榜するこの村でも、酪農家が地域の特徴的な景観や魅力ある環境をつくり出していることを認識している。
別の観点からこの村の景観や環境保全に主体的に関わっているのは、索道事業を経営するミヒャエルさんである。夏場にレッヒを訪れと、山の斜面を埋めつくす美しい花々に感激する。この花の種を索道会社が蒔いていると聞いたので、さっそくそれを話題にすると、「これは単に綺麗にするためにやっているのではない」と答えた。ゲレンデが侵食される土砂の流出を防ぐには、どのような植物が侵食に強くて同時に美しく見えるのか、大学と共同研究した成果だという。夏場のことだけではない。圧雪による植物への負荷を軽減する方法も共同研究している。それには、冬の初め、2度目の寒さが訪れた時に、一気に人工降雪機でゲレンデの草地を覆ってやるのがいいそうだ。この時に、植物自身が凍結防止ホルモンを一番多く分泌するので、雪の下でも植物が凍らず、植物が枯れることによる土壌侵食を防げるという。しかも、人工降雪機に使う水は、人間が飲める基準のモノを使っている。

水も空気も立派な商品

環境の質に注意を払う村人の自慢は、水の美味しいことである。到着の翌日、食事の際に、ミネラルウオーターを注文すると「レッヒの水は世界一美味しいのに、どうしてお金を出してそんなものを飲むのか」と、村の水を飲むように勧められた。まるで、水が、環境の質の証でもあるかのようだ。このような山村にもかかわらず、下水道普及率は100%である。村内ならどこの水も安心して飲める、と村人は話す。
現在、レッヒ村では、バイオマス・エネルギーを利用した地域暖房を進めている。各戸から出るボイラーの煙をなくす試みである。これを発案し、推進しているのも、ホテルの若手経営者たちである。「きれいな空気だって立派な商品ですよ」と、ゲオルグさんは冗談めかして言うが、日本から見れば、今でも十分爽やかな空気で満たされている。
当然、車の排気ガスにも対策が練られている。村の中心部、教会が建つ丘の下は大きな村営地下駐車場になっていて、ハイキングやスキーに出かける観光客はここに車を置いて無料の村営バスを利用することになる。このハイキングバスは、停留所以外でも、ハイカーが手を挙げれば止まってくれるので、便利である。依然は森の小道に車が溢れていたらしいが、このシステムの導入により解決した。
車を地上から閉め出してしまった地区もある。レッヒの谷間の上部に位置する集落オーバーレッヒでは、宿泊業者が資金を出し合い、7年かけてロープウェイの駅舎と各宿泊施設をループ状に結ぶ地下トンネルを掘ってしまった。このトンネルの総延長は1.8㎞にもなり、内部は電気自動車が楽々といれ違えるほど広く、集落の入り口で地上の村道とつながっている。滞在客は、麓のロープウェイの駐車場で荷物を預ければ、あとは運んでくれる。宿泊施設にも必要な物資も、そのままトンネルを使って運ばれてくるので、車に煩わされることなく静かな山村の風情を楽しむことができるのである。特に、雪にすっぽりと覆われた集落の佇まいはすばらしい。

滞在客は村のゲスト

この村に滞在していると、不思議と落ち着いた心地よい気持ちになる。一つには、調和の取れた景色がもたらす気持ちよさがある。この村では、建物の形や高さ、材料に至るまで細かく基準が設けられている。ダイアナ妃が滞在した著名ホテルも、外観だけではほとんど区別がつかない。建坪率も厳しく決められているので、敷地に余裕があり緑豊である。ホテルのスパ施設などの付帯施設は、芝生の下に半地下式につくられているので、中に入って初めてそのレベルの高さに驚くことになる。建築規制は、増改築の時季にまで及んでいる。観光産業にかかわらない住民までオフシーズンに増改築の工事するよう協力するのは、滞在客は村全体のゲストであり、折角の休暇を工事の音で不快にさせないための配慮である。

小さなことはすばらしい

若き村長ムクセルさんは、自分たちの村を「スモールバットグッド」と胸を張る。小さいことは悲しむべきことではなく、観光の質を高めるためにはいいことなのだと力説した。
ここでの発想の原点は、滞在客の満足度を高めることである。その一つがスキー場の入場制限である。このエリア全体で1日に発行するスキーパス(リフト券)を14,000枚と決めている。それ以上の人が来ても、このパスを売らないのだ。宿泊客と公共交通機関の利用者には、優先的にパスを販売する。いつも来てくれる滞在者に、ゆっくりといい時間を過ごしてもらうこと、そのためには目先の売り上げを我慢する。ゲストとは深いところでつき合いたいという村の姿勢が読み取れる。実際、この村では、毎年8日以上続けて訪れるゲストには、10年目以降節目の年に名誉バッジを贈り、村の広報紙で紹介している。すでに名誉バッジの贈与者は、15,000人にのぼり、中には、50年目を超えるゲストもいるというから驚く。
レッヒでは、2001年にサンアントンと共同でのヨーロッパスキー大会開催というビックイベントの話が持ち上がった時も、村民の80%が反対票を投じ辞退した。その一番の理由は、毎年来てくれる滞在客に迷惑がかかること、次が、新しい建物を建てることによる環境破壊を心配してのことである。村人は、観光の質を重視し、一時的な経済効果より自分たちのゲストと環境の方を選択したのである。観光客の数を追い、拡大することが観光地の発展だと信じてきた我々には、考えさせられる話である。

観光地の”志”

21世紀の新しい観光のカタチを考える時、このチロルの小さな山村から学ぶべきことは実に多い。環境の質を高めることが観光の質につながること、滞在客の持つ時間の質を高める努力が高いリピート率をもたらすこと、地域づくりに観光産業が主導的な役割を果たせること、観光は規模の大小でないことなどである。そして、これらの根底に流れている最も大切なことは、観光地としての自律性をしっかりと持つことである。村のデザインを、そこに住む住民が内発的に考え、その実現のために、それぞれが自らの意志で行動を起こしていく。その過程で、本当に個性的な観光地が生まれてくる。
一見、素朴な山村観光地と見えたが、レッヒ村は、実は多くの関係者の努力と時間がつくり出した質の高い観光地だったのである。有名な山や湖がなくても、人々の創意や工夫がそれらに負けない立派な観光的魅力になっていた。
チロルの小さな村には、目先の利益や流行に惑わされない大きな”志”があった。

 

― 小林英俊氏プロフィール ―

現在、(財)日本交通公社 理事   

○観光・環境に関わる主な公職歴(平成16年度以降分)
「エコツーリズム推進会議」委員・幹事会座長(環境省)、「沖縄美ら島ブランド委員会」委員(内閣府)、「半島振興対策研究会」委員(国土交通省)、「国際観光に資する地域資源活性化方策調査」委員(文化庁)、「森林セラピー基地審査委員会」委員(林野庁)、「文化遺産管理とツーリズム」共同研究員(国立民族学博物館)、「南信州エコツーリズム推進協議会」(飯田市)委員など

○主たる研究活動
旅行市場・ツーリズム産業に関するマーケティング、観光による地域の活性化、観光と環境の関わり方、観光と健康についての研究 

○賞
エコツーリズム賞(ANTOR:在日外国政府観光局代表協議会)97年、日本国際観光学会論文優秀賞(日本国際観光学会)・93年、観光に関する学術研究論文一席入選(共同研究・アジア太平洋観光交流センター)97年、フランス観光功労章金メダル(フランス政府)05年

○訳書 『エコツーリズム教本』(平凡社)02年4月

○監訳書『自然保護とサステイナブル・ツーリズム』(平凡社)05年4月