サンクト・アントンの歴史
 


先史・古代

先史時代  標高約1800mのレッヒターラーアルプスとフェアワル山脈の間に位置するアールベルク地域全体に青銅時代の発掘品が見つかっていることから、先史時代に人が住んでいたことが分かる。

中世

14世紀~  アールベルク峠は道が険しく、冬は山越えをすることが困難だった。それでも、アールベルク峠は岩塩の運搬の通過路として使われた。厳しい農業生活を営むサンクト・アントンの住人にとって、峠越えの通行料は経済的基盤となっていた。
1386年  山越えをする行商人にとってアールベルク峠は命がけの旅だった。ハインリッヒ・フィンデルキントは峠での犠牲者が出ないように、ウルリヒ・ノッセクとともに初めての宿屋「ホスピツ」を隣村サンクトクリストフに建設する。フィンデルキントの記録によると、最初の冬には7名、翌7年間に50名の命が救われる。
1414年  アールベルク峠はローマ教皇ヨハネス23世が越えようとし、事故にあったことでも知られている。雪道で馬車が倒れ、ローマ教皇は下敷きになり、その時ばかりは神へ暴言を吐いたと言われている。

中世末期・ルネッサンス期


16世紀 アールベルク峠の険しさと通行料の高さが原因で、徐々に商業ルートとして利用されなくなり、サンクト・アントンは不況の危機におかれる。

近世

1632年  皇帝マクシミリアン1世によってアールベルク峠に郵便連絡ができたものの、峠の悪条件から一時的なものとなる。
1783年~1787年 皇帝ヨーゼフ2世によってアールベルク道路が造られ、延長道路が1824年に完成する。

近代・現代

1880年~1884年  1880年5月16日、皇帝フランツ・ヨーゼフの許可が下り、アールベルクトンネルの大規模な工事が始まる。毎年平均2700人、1883年10月には4685人が動員され、1884年9月20日にアールベルク・トンネルが完成。鉄道が開通する。
1847年~1871年 1847年、アールベルク・トンネルとアールベルク鉄道のプロジェクトが本格化する。同時期にヨーロッパでは鉄道網の拡大が行なわれ、ブレンナー鉄道(ヴェローナ~ボルツァーノ)、プースター タール鉄道(クフシュタイン~インスブルック)の建設工事が始まる。1867年にはブレンナー鉄道が開通、チロルの北と南を繋ぐ道が誕生する。1871年にはプスタータール鉄道の開通によりチロルとウィーン間、西と東が結ばれる。
1895年  初めてスキーが誕生する。見たことの無いスポーツに人々は戸惑いながらもすぐに広まり、1899年にはヘルマン・ハートマンがサンクト・アントンのガンペン山からスキーで滑りおり注目を浴びる。
1901年1月3日~1945年 隣村サンクト・クリストフの「ホスピッツ」で歴史上初の「スキークラブ・アールベルク(SCA)」が誕生する。翌年からここで毎年のようにスキー競技が行なわれるようになる。全ての競技でトップを行くハンネス・シュナイダーは1907年からスキーレッスンを行い、オーストリア・アルペンスキーの基礎を作っていく。
1928年  スキー教師国家試験の受験用に「オーストリア国立スキー学校」が創設される。
1937年  ガルツィック・ゴンドラが完成。サンクトアントンに次々とゴンドラやリフトが完成していく。
1945年  第二次世界大戦後、サンクト・アントンはアルペンスキー競技会場として発展する。
1956年   「国立スキー学校」のシュテファン・クルッケンハウザー教授によって新しいスキー技術が誕生。新技術「ヴェーデルン」は世界的に注目を浴る。
1980年  「国立スキー学校」のフランツ・ホッピヒラー教授により「シュヴインゲン」が誕生する。
1970年代~  1977年、オーストリアで最も長いアールベルク道路トンネルが完成。以前にも増して観光客が訪れるようになる。スキー発祥の地サンクト・アントンでは数々のアルペンスキー競技が行われ、中でもルーディー・マット選手、 ヨーゼフ・ファールナー選手、フリードリッヒ・シュナイダー選手、フランツ・シュランツ選手、エミル・ヴァルヒ選手など、ハンネス・シュナイダーの教え子たち、そしてシュナイダー自らも活躍する。
現在  ハンネス・シュナイダーが創設したスキー学校では、現在毎年ハイシーズンには約360名のスキー教師がカパル山、ガルツィック山、ヴァルーガ山、レンドル山でスキーを教えている。サンクト・アントンはハイキングやトレッキングのメッカとしても知られている。