インスブルックの歴史
 

先史・古代

青銅器時代

イン川の氾濫から身を守るため、インスブルックの両側にある高地帯にイリュリア人(古代バルカ
ン半島北西部アドリア海沿岸に住んだ民族)とレティア人(古代ローマの属州民族)が定住。

紀元前15年~
紀元前1世紀末

ローマ帝国が北へ膨張。この頃、ローマ軍の通過地点であったインスブルック(現在のヴィルテン
地区)に逗留所が設けられ、次第に周辺に集落が誕生する。

6世紀の終わり

ゲルマン民族の大移動でバユワル人(バイエルン人)がイン渓谷に進行したことによって、土地
はバイエルン部族大公領となる。権力政治的考えから、世紀末、フランク王国の領土「山の地
チロル」はブリクセン司教らに次々と分け与えられていく。中でもアンデックス伯は教会の封建領
主らに領土を与えながら、チロル全土で権力を増大させていく。

中世

12世紀

イン川の北岸に市場が開かれる。

1180年

アンデックス伯ベルトルト4世によってイン川に最初の橋が掛けられる。イン川の北側にあった
市場は南側に移される。現在のインスブルック旧市街をとり囲む城壁はこの時代のもの。

1187年

初めて「インスプルック(Innspruck)」という名が記述される。「イン川に架かる橋」という意味の
町インスブルック。アルプス地方の商取引にいかに橋が重要だったか伺える。

1239年

インスブルックに都市権が与えられる。

1248年

アンデックス伯オットー3世が子孫を残さず死去。彼の遺領であるイン川南部はチロル伯アルベ
ルト3世へ譲渡される。ブレンナー周辺の伯爵領は統合され、正式に「チロル」が誕生する。
チロル伯の後継者マルガレーテの夫と息子が相次いで亡くなるため、チロル伯の領土は
ハプスブルク家のルドルフ4世に譲られる。

1363年

チロル伯の後継者マルガレーテの夫と息子が亡くなり、チロル伯の領土はハプスブルク家の
ルドルフ4世に譲られる。

1420年

ハプスブルク家の領土は兄弟の間で分割され、フリードリッヒ4世「文無し公」がチロル地方と
ドイツ及びスイスの領土を相続する。

1429年

フリードリヒ4世は居城をメランからインスブルックに移す。彼は兄弟との領地争や、ローマ法王
との争いなどで財政状態が悪化したが、インスブルック市民の邸宅を2つ買い取り、それらを合わせてノイホーフ宮殿を作らせる。

中世末期・ルネサンス期

15世紀~16世紀

インスブルックは全盛期を迎え,ハプスブルク帝国「影の首都」として栄える。フリードリッヒ4世の子         
ジグムント「豊貨公」は、領内の銀山を開発。近くのハルという町に銀貨の鋳造所を設立し、
銀貨を造り、ノイホーフ宮殿を拡張させる。

1490年

ジグムントは皇帝マクシミリアン1世に領土を譲り、ハプスブルク家の全領土が再び1人の君主
の下に統合される。皇帝マクシミリアン1世はハプスブルク家領のどこへ行くにも便利な位置に
あるインスブルックに本拠を定め、行政、経済、そして文化の中心地へと大発展を遂げる。
彼は最初の妃ブルゴーニュ公女マリーが落馬事故で亡くなった後、ミラノの
スフォルツァ家の公女ビアンカ・マリアと再婚し、その祝賀をインスブルックで行う。

1500年

皇帝マクシミリアン1世によって「黄金の小屋根」が造られる。2657枚の金箔を張った銅板と
美しいレリーフで飾られたルネッサンス様式のロイヤルボックスは、現在ではインスブルックの
シンボルとして有名。

1509年~1550年

皇帝マクシミリアン1世の石棺を囲む「黒い人々」が鋳造。

1553年~1563年

フェルディナンド1世により宮廷教会が建設される。

1564年~1584年

大公フェルディナント2世によってアンブラス城がルネッサンス様式に改築される。

近世

1665年

チロル系のハプスブルク家が途絶え、シュタイアーマルク系ハプスブルク家のレオポルド1世に
継承権が与えられる。

1703年

スペイン継承戦争が始まる。バイエルン軍を撃退後、記念に聖アンナ記念柱が建てられる。

1765年

マリア・テレジアの息子レオポルド2世の結婚式の最中、夫フランツ・シュテファン1世が亡くなる。   
これに際し、マリア・テレジアは旧市街と新市街を結ぶマリア・テレジア通りと凱旋門、そして
王宮内に礼拝堂を建築させ、ホーフブルグ王宮を改築させる。

近代・現代

1805年

ナポレオン1世と講和関係にあったバイエルン軍によってチロルは統治される。

1809年

チロル解放戦争。チロルの英雄アンドレアス・ホーファーは農民解放軍を率いてフランス・バイエ
ルン軍に3度勝利。インスブルックに市民統治権が誕生するが、同年チロルは再度バイエルン
軍とフランス軍の攻撃を受け敗北。1814年までバイエルンの領土となる。

19世紀後半

交通機関が発展するとともにインスブルックは再び「ヨーロッパの十字路」として重要な意味を
持つようになる。

1858年~1884年

ブレンナー峠及びアールベルグ峠に鉄道が開通し、インスブルックはヨーロッパの東西南北を
結ぶ交通の分岐点となる。

20世紀前半

第一次世界大戦が終わり、インスブルックはチロルの州都としても大きな役割を果たす。
第二次世界大戦時、インスブルックは空爆による大きな被害を受ける。

1964年

第4回冬季オリンピックがインスブルックで開催。

1976年

第7回冬季オリンピック開催。インスブルックはウィンタースポーツのメッカへと発展する。

1988年

ローマ法王がインスブルックを訪問。

1995年

オーストリアEU加盟。

2005年

ユニバーシアード開催。

現在

アルプスの四季を楽しめ、ハプスブルク帝国の遺産が残る観光地として、世界中から多くの
人々が集まるようになる。

2008年

サッカー・ヨーロッパ選手権開催。