チロルの歴史
 

古代

紀元前12世紀
~8世紀

 チロル渓谷の斜面に最初の人たちが定住する。

紀元前15年
~5世紀

 ゲルマン民族が北から膨張。インスブルック近郊にローマ軍用道路の逗留所が設けられ、小さな集落が形成される。

中世

1027年

 チロルはアンデックス伯の領土となり、アンブラス城が建てられる。

1180年

 アンデックス伯ベルトルト5世が現在の旧市街の土地を獲得し、イン川右岸に所有していた市と町を左岸に移す。同年“イン川に架かる橋-インスプルック”が建設される。その後、旧市街やマリア・テレジア通りや新市街が徐々に建設されるようになる。

1248年

 アンデックス伯オットー3世が子孫を残さず死去。遺領はチロル伯に譲られ「チロル」に統合される。

1363年

 チロル伯が途絶え、領土はハプスブルク家ルドルフ4世に譲られる。その後、ハプスブルクの領土は兄弟の間で分割され、フリードリッヒ4世「文無し公」(1383~1439)がチロル地方とドイツとスイスの領土を相続する。

中世末期・ルネッサンス期

1420年

 フリードリッヒ4世「文無し公」は居城をメランからインスブルックへ移す。インスブルックは西オーストリアの政治、経済、文化、芸術の中心地として繁栄する。

1439年
     ~1490年

 ジグムント「豊貨公」の時代、インスブルック近郊で大量の銀と岩塩が発掘される。この頃からインスブルックは“ハプスブルク帝国のお財布”として栄えはじめ、町には王宮が建てられる。

1490年

 ハプスブルグ帝国皇帝マクシミリアン1世(1459~1519)、通称「中世最後の騎士」にチロル領が譲られる。彼はインスブルックを本拠地に定め、チロルは黄金時代を迎える。

1500年

 インスブルックの町のシンボル「黄金の小屋根」が建設される。このロイヤルボックスから皇帝マクシミリアン1世は旧市街広場の騎馬戦やマーケットなどの催し物を楽しんだという。旧市街には建造物が次々と建てられ、ハプスブルグ帝国「陰の首都」へと発展する。

1519年

 皇帝マクシミリアン1世が死去。孫カール5世とその弟フェルディナント1世が相次いで皇帝となる。フェルディナント1世は皇帝マクシミリアン1世の石棺を囲む「黒い人々」と宮廷教会を建てさせる。

1564年
    ~1595年

 フェルディナント2世の時代。アンブラス城が増築され、世界中から美術品を集まる。

1557年

 フェルディナント2世は商人の娘フィリピーネと結婚し2人の息子を授かるが、同階級の結婚ではないため子供たちには大公位の継承権が認められず、甥のレオポルド5世が後継ぎとなる。

近世

1665年

 レオポルド5世の孫の代で男子がいなくなり、チロル大公位はハプスブルク本家が兼ねる。

1703年

 スペイン継承戦争が始まる。チロル農民軍は攻撃してきたバイエルン軍に打ち勝ち、その記念にアンナ柱が造られる(1704~1706)。

1765年

 インスブルックにて女帝マリア・テレジアの息子レオポルト2世とスペイン王妃マリア・ルドヴィカの結婚式が行われる。式典の最中、マリア・テレジアの夫フランツ・シュテファンが死去する。そのため結婚を祝福するために建てられた凱旋門はこうして片面は歓喜を、もう片面は哀している。

近代・現代

1809年

 1806年からバイエルンの支配下にあったチロルは解放戦争を決心。農民出身の英雄、アンドレアス・ホーファーはフランスのナポレオン軍とバイエルン連合軍と激戦を迎え、4度目の戦いで敗北に終わる。チロルは再びバイエルンに占領される。

1814年

 チロルはバイエルンから開放され、オーストリア領に戻る。

1849年

 インスブルックがチロルの州都となる。19世紀後半、鉄道や道路が開通し、東西南北を結ぶ交通の分岐点としてインスブルックは栄える。この頃からチロルに観光客が集まるようになる。

1938年
    ~1945年

 オーストリアはナチス・ドイツに併合される。

1964年

 第9回冬季オリンピックがインスブルックで開催。

1976年

 第12回冬季オリンピックがインスブルックで開催。

1988年

 ローマ法王がインスブルックを訪問する。

1995年

 オーストリアEUに加盟する。

2001年

 アルペンスキー世界選手権がサンクトアントンで開催される。

2005年

 ユニバーシアード開催。

2008年

 サッカー・ヨーロッパ選手権開催。